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 2010/4/29  欧州・建築/美術視察記 4日目 フランス パリからロンシャンに


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朝、ホテルを出てmasuyama氏の車でパリ郊外に出て、約20キロくらい走った所にあるサボア邸(ル・コルビュジェが1931年ごろに完成した)に向かった。

建築士の試験にも出てくる有名な建築物で、サボアさん夫妻の週末住居だったらしい。

ちょっとわかりにくいところにあって、何度か行き過ぎたが長く続く塀にやっとそれらしき看板を見つけることができた。


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門を抜け木々の中をくぐり抜けると、視界が一気に広がった緑の芝生の上に、白い幾何学的で宇宙船のような建物が中央に建っていた。

まさに本や教科書で見た建物がそこにあった。かならず観てみたいと思っていた建物であったのだ。

完成した1930年ごろの建物って言ったら、石やレンガを積つみ重厚な装飾をほどこした建物で、ゆえに窓は小さく自由に開口も間取りも取れなかったが、鉄筋コンクリートが発明され自由な建築が創れるようになったころだ。

当時、ル・コルビュジェが提唱した『近代建築5原則』には、

1 ピロティ    建物を柱で地面から離し人や車など自由に通り抜ける空間を創る。
2 屋上庭園   勾配の少ない屋上に緑を入れ自然を取り入れる。
3 自由な平面構成  鉄筋コンクリートにより床と柱で構造体ができたので外壁だけでなく自由な平面構成ができた。
4 水平連続窓  従来は縦長の制限された窓から横長に連続する窓によって降り注ぐ光と眺めを取り入れることが出来た。
5 自由なファサード(外観・立面)  それまでの重厚な意匠のファサード(正面の外観)の重視からの脱却

簡単に書くと(これでも)、こんなことを言っていたのを最も純粋な形で表現されたのが、このサボア邸だった。

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1階に入り居住空間のある2階に上がるには、らせん階段とこのスロープがあり、徐々に視線が上がっていく室内のアプローチ的な廊下を上がるとリビングがあった。

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2階には中庭(2階だから広いベランダと言うべきかな)があり、そこから途切れず続く水平連続まどからは、緑が連続絵画ごとく切り取られ、十分な光と自然が入ってきていた。

私たちが見学していると、いつのまにか何人かの見物客が来ていて、そこかしこに居場所があるこの建物は、どこにいても落ち着きくつろげるよな、さまざまな仕掛けがしてあった。

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さらに屋上に上がるスロープを上ると、その正面には、絵画のように切り取られた風景があり、そこにもテーブルのような台が施され、天井にない書斎のようだった。

まだまだ、ここには書ききれないほどの仕掛けや、楽しませてくれたり癒してくれる空間があったり、機能的な家具や間取りなど、80年前の建物とは、とうてい思えないものだった。そうして見ているこの時間も、毎度これからもこの旅なんども思うのだけれども、ここにいることが信じられないといつも思うのだった。


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それから、フランスの東のはずれのロンシャンという小さな村に向かった。

そういえば、彼はドイツのデュッセルドルフと言う街に住んでいて芸術家なのだが、自宅からパリまで自分の車で来てくれたのだった。

若いころドイツに来た時は、言葉も仕事もお金も非常に大変だった話を聞いて今はこんなかっこいいイタリア車を買って家族と弟子さんをまかなっているなんて、ほんとすごいです。

才能ずば抜けてたものね。小中といっしょで幼馴染の同級生で、私も彼も絵が好きで得意だったのもあって、ほんと仲良かったね。部活もいっしょで、トランペット吹いてたしね。当時の彼の才能を一番知っていたのは私だったと思うのは、決してうぬぼれではなく。高校は違ったけど彼は高校の時、美術でなんか総理大臣賞など取ったって。すごすぎ。。

おかげで、私は幸か不幸か芸術家の道は、思いもしなかったのであった。


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パリから約400キロくらい離れてたところに彼の車で一気に行ったのだが、驚いたのは、パリの街を出てからロンシャンに着くまで一つも信号機がなかったこと。途中半分は高速だったけど、200キロ近く信号がないのです。

なんでもかんでも十字路には信号が付いている日本とは大違いだった。

こんな国もあるのかと、正直驚いたのだった。

あとは、大地がうねっているだけの畑ばかりで、山がなかった。フランスも下に行けば山があるのだけれど、このフランスの大地は私の住んでいる茨城のような関東平野みたいなのかな。スイスが栃木みたいな。
急にローカルになっちゃたけど、、スケール違いすぎますね。

フランスは農業国って言うけど、ほんとそうだね。途中に小さな村らしき街がちょっとあっただけで、あとずーと畑か酪農だったもんな。


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夕方に目的地に着き、見学は明日のお楽しみとなり、近くの町ベルフォールと言う街に着いた。

今日で、彼との最後の夜となってしまった。

明日からは朝、いっしょに建物を見てからそれぞれに。.彼は仕事があるのでドイツに帰り、私はいよいよ一人旅となる。

この日のホテルは日本で予約できない地域だったので、着いてから見つけることになった。

たまにはちょっといいホテルに泊まったほうが、疲れが取れるよと気遣って頂き、ちょっといいホテルを見つけ、彼の監視の下、ホテルのチェックインや外でのレストラン選定から注文まで、私が一人ですることとなった。ボンソワ、メルシーと指差しでなんとかこなし、明日から「一人旅できるか」試験にかろうじて受かった?のだった。

しかし実際は、パリみたいな大きな街と違い、日本人らしき二人は珍しいのかみんな(外人たち、というか私たちが外人だけど)私たちに振り向き、私はなんとも言えない不安に陥っていた。今はまだ彼といっしょだけど、一人だったらちょっとキツイなーって。

でも、彼と最後の食事をし、最後の乾杯をしてここ数日の楽しかった話やこれからのアドバイスなどを話し、ワインも進むうちにそんな不安はなくなっていた。。さすがアルコールパワー。恐るべし。

お酒好きでほんとよかったのだった。。

つづく
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