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2010/4/30 (一年前のを綴っています)

欧州・建築/美術視察記 5日目 フランス ロンシャンからマルセイユに


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ロンシャンという小さな村の近くの街ベルフォールのホテルに泊まり、昨日はひさびさに湯舟につかった。

朝起きて窓の外には、いかにもヨーロッパにありそうな重厚で古そうな城壁があり、パリとは違い異国の遠く小さな誰も知らない街に来ている。
いつもよりちょっといい朝食を食べ、早速目的の建築を見に出掛けた。

車で10分くらい走り、ロンシャンという小さな村の小高い丘の上に、教会がありその礼拝堂がルコルビュジェが創った建築物である。



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小雨のなか、門から上り坂を歩いていくと『うわ、、でたーー!』
なんじゃ!これは、、、
それからは、無我夢中で眺め、さわり、見上げ、廻って、行ったりきたり。。

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近代建築史におけるパルテノン神殿とも言われるこの白いロンシャンの礼拝堂。

コルジュジェの作品の中でも、最も印象的で特異な外観に圧倒され、驚かせるばかりだった。

斜めにそびえたつぶ厚い壁には、さまざまな大小の明り取りの色ガラスの窓が散乱している。中に入ると外の白く明るい壁とは対象的に非常に光を抑えていて神聖な空間に神秘的な光の乱舞は、非常にアート的でもあった。

そして、何人かの方が、神父とともにミサを歌っていた。

神聖に響きわたる歌声を、色ガラスを通した赤、青、黄などの光が床に落ちているのを見ながら、しばらくの間、聞き入っていたのだった。


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ベルフォールの街に戻り、いよいよMASUYAMA氏ともここで別れることとなった。
電車の切符も、言葉が出来なくても買える方法を二人で検討し実践してみた。メモ帳に時間と行き先を書くだけなのだが。。

これから先、自分で買って移動していく為に、非常に大切な事なのだ。

こちらでは、列車も時間の遅れも当たり前の事らしく、違う列車に乗らないよう列車番号をよく確かめるように!と教えてもらった。

日本のように、改札口がない駅に驚きと違和感を感じながら、列車に乗り込んだ。
そして彼と最後のお別れとお礼をし、フランス南部マルセイユに向かった。

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とうとう一人旅となり列車の中で、不安と期待が交じり合っていた。

途中ディジョンという街で乗り換えをし、駅で昼飯のパンと水を買った。店員にウォーターと言っても通じずワーターと言ったらやっと通じた。

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となりでは、子供がマンガらしきものに熱中していて、何読んでるのかと思ったらワンピースだった。
それだけでも、ちょっと安心した様な気がした。



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やっとマルセイユについた。約7時間ほど電車での移動だった。

夜の8時だと言うのにまだ昼間のように明るい。

まずはメトロに乗って港に行った。途中反対側の列車に乗って、全く違う方向に進んでいたが、途中気が付いて引き返して何とか港周辺にたどり着いた。

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いかにもマルセイユらしく港には、たくさんの船があって街の人たちも活気があるように感じる。

大阪や博多のような雰囲気があった。早速教えてもらったようにレストランをさがし食事となる。

ビールを頼み、パスタとワインも頼んだ。つたない言葉とジェスチャーでおいしい食事となった。
 

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となりの店では、テレビでサッカーの試合が行われていたらしく、すごい人だかりになっていた。

となりの席のマダムが、英語で話しかけてくれて、不思議と私も返していた。

『マルセイユのサッカーチームはすごいでしょ!』と言っているみたいで私も素直に答えていた。

マルセイユは、パリとはまた違って、楽しい人と街でうれしかった。



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タクシーを拾って、今日のホテルに向かった。

今回の旅で、どうしても泊まると決めていた、コルビュジェのユニテダビタシオンに。。

個人で日本から予約したので、ちゃんと予約が入っているか不安だったのだが、今日の昼間にMASUYAMA氏に頼んで、電話で確認してくてていたのでホテルの方も待っていてくれていた。

チェックインして部屋に入り、泊まれることに感動しながら、レストランバーでまた一杯飲んでいた。

つづく


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 2010/4/29  欧州・建築/美術視察記 4日目 フランス パリからロンシャンに


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朝、ホテルを出てmasuyama氏の車でパリ郊外に出て、約20キロくらい走った所にあるサボア邸(ル・コルビュジェが1931年ごろに完成した)に向かった。

建築士の試験にも出てくる有名な建築物で、サボアさん夫妻の週末住居だったらしい。

ちょっとわかりにくいところにあって、何度か行き過ぎたが長く続く塀にやっとそれらしき看板を見つけることができた。


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門を抜け木々の中をくぐり抜けると、視界が一気に広がった緑の芝生の上に、白い幾何学的で宇宙船のような建物が中央に建っていた。

まさに本や教科書で見た建物がそこにあった。かならず観てみたいと思っていた建物であったのだ。

完成した1930年ごろの建物って言ったら、石やレンガを積つみ重厚な装飾をほどこした建物で、ゆえに窓は小さく自由に開口も間取りも取れなかったが、鉄筋コンクリートが発明され自由な建築が創れるようになったころだ。

当時、ル・コルビュジェが提唱した『近代建築5原則』には、

1 ピロティ    建物を柱で地面から離し人や車など自由に通り抜ける空間を創る。
2 屋上庭園   勾配の少ない屋上に緑を入れ自然を取り入れる。
3 自由な平面構成  鉄筋コンクリートにより床と柱で構造体ができたので外壁だけでなく自由な平面構成ができた。
4 水平連続窓  従来は縦長の制限された窓から横長に連続する窓によって降り注ぐ光と眺めを取り入れることが出来た。
5 自由なファサード(外観・立面)  それまでの重厚な意匠のファサード(正面の外観)の重視からの脱却

簡単に書くと(これでも)、こんなことを言っていたのを最も純粋な形で表現されたのが、このサボア邸だった。

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1階に入り居住空間のある2階に上がるには、らせん階段とこのスロープがあり、徐々に視線が上がっていく室内のアプローチ的な廊下を上がるとリビングがあった。

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2階には中庭(2階だから広いベランダと言うべきかな)があり、そこから途切れず続く水平連続まどからは、緑が連続絵画ごとく切り取られ、十分な光と自然が入ってきていた。

私たちが見学していると、いつのまにか何人かの見物客が来ていて、そこかしこに居場所があるこの建物は、どこにいても落ち着きくつろげるよな、さまざまな仕掛けがしてあった。

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さらに屋上に上がるスロープを上ると、その正面には、絵画のように切り取られた風景があり、そこにもテーブルのような台が施され、天井にない書斎のようだった。

まだまだ、ここには書ききれないほどの仕掛けや、楽しませてくれたり癒してくれる空間があったり、機能的な家具や間取りなど、80年前の建物とは、とうてい思えないものだった。そうして見ているこの時間も、毎度これからもこの旅なんども思うのだけれども、ここにいることが信じられないといつも思うのだった。


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それから、フランスの東のはずれのロンシャンという小さな村に向かった。

そういえば、彼はドイツのデュッセルドルフと言う街に住んでいて芸術家なのだが、自宅からパリまで自分の車で来てくれたのだった。

若いころドイツに来た時は、言葉も仕事もお金も非常に大変だった話を聞いて今はこんなかっこいいイタリア車を買って家族と弟子さんをまかなっているなんて、ほんとすごいです。

才能ずば抜けてたものね。小中といっしょで幼馴染の同級生で、私も彼も絵が好きで得意だったのもあって、ほんと仲良かったね。部活もいっしょで、トランペット吹いてたしね。当時の彼の才能を一番知っていたのは私だったと思うのは、決してうぬぼれではなく。高校は違ったけど彼は高校の時、美術でなんか総理大臣賞など取ったって。すごすぎ。。

おかげで、私は幸か不幸か芸術家の道は、思いもしなかったのであった。


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パリから約400キロくらい離れてたところに彼の車で一気に行ったのだが、驚いたのは、パリの街を出てからロンシャンに着くまで一つも信号機がなかったこと。途中半分は高速だったけど、200キロ近く信号がないのです。

なんでもかんでも十字路には信号が付いている日本とは大違いだった。

こんな国もあるのかと、正直驚いたのだった。

あとは、大地がうねっているだけの畑ばかりで、山がなかった。フランスも下に行けば山があるのだけれど、このフランスの大地は私の住んでいる茨城のような関東平野みたいなのかな。スイスが栃木みたいな。
急にローカルになっちゃたけど、、スケール違いすぎますね。

フランスは農業国って言うけど、ほんとそうだね。途中に小さな村らしき街がちょっとあっただけで、あとずーと畑か酪農だったもんな。


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夕方に目的地に着き、見学は明日のお楽しみとなり、近くの町ベルフォールと言う街に着いた。

今日で、彼との最後の夜となってしまった。

明日からは朝、いっしょに建物を見てからそれぞれに。.彼は仕事があるのでドイツに帰り、私はいよいよ一人旅となる。

この日のホテルは日本で予約できない地域だったので、着いてから見つけることになった。

たまにはちょっといいホテルに泊まったほうが、疲れが取れるよと気遣って頂き、ちょっといいホテルを見つけ、彼の監視の下、ホテルのチェックインや外でのレストラン選定から注文まで、私が一人ですることとなった。ボンソワ、メルシーと指差しでなんとかこなし、明日から「一人旅できるか」試験にかろうじて受かった?のだった。

しかし実際は、パリみたいな大きな街と違い、日本人らしき二人は珍しいのかみんな(外人たち、というか私たちが外人だけど)私たちに振り向き、私はなんとも言えない不安に陥っていた。今はまだ彼といっしょだけど、一人だったらちょっとキツイなーって。

でも、彼と最後の食事をし、最後の乾杯をしてここ数日の楽しかった話やこれからのアドバイスなどを話し、ワインも進むうちにそんな不安はなくなっていた。。さすがアルコールパワー。恐るべし。

お酒好きでほんとよかったのだった。。

つづく
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 2010/4/28 フランス パリ

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今回の旅の中でパリを視るのは今日で最後。
実質2日目の今日でパリともお別れ。今日も調べてきた建築を見たい(‥というかそれしか調べていない)と思っていたが、今日も狭いホテルのレストランで朝食を取りながら、彼(hiroyuki masuyama)が折角パリに来たのだから、美術館を見に行こうと進めてくれた。

そうだよねと思い、決めた場所がオルセー、ルーブル美術館、(この目玉2つはやはり外せないと思っていたけど)そしてオランジュリー美術館を薦めてくれた。30箇所以上はある美術館の中の3つを今日のノルマに。

ほとんど知らない私より、東京芸大卒の彼におまかせコースとあいなった。

ホテルを出て数回目のタクシーにのり、運転手に地図の指差しと挨拶のみで行き先を知らせ向かうのでした。(ちょっとづつ慣れてきたかも)オペラ座の前を通りオルセー美術館に・・・。


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歴史ある美術史のなかでも、近代の絵画(19世紀が中心)があるオルセー美術館に。
以前は鉄道駅で1986年に改修し美術館となったこの館内には、印象派のモネ、ルノワール、ゴッホなど名前くらいは私でも知っていた有名な絵が展示している。。

それでも恥ずかしながら、美術のことはほとんど知らなかった私が、今は完全美術館巡りが趣味となってしまったのは、この時のおもしろさと楽しさがあったからにほかならない。

チケットの買い方を教えてもらって中に、、何度か来ている彼に中を案内兼、美術史の講義を『小学生でも解る美術史及び鑑賞法』ごとくしてもらいながら観て廻った。

どうして印象派なのか、なぜ印象派が出来たのか、その前のミレーなどからポスト印象派のゴッホ、ゴーギャンなどまで、ほんと楽しく詳しく面白く話してくれた。こちらも気兼ねなくいろいろ聞くことが出来て非常に勉強になった。

建築も音楽もなんでも歴史や変わっていく変遷など、流れがわかってくると、観方も変わって面白みが増してくるよね。



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オルセー美術館のすぐ後ろにレストランがありそこで昼食を。
ここもすごくおいしかったけど、フランスの食事はどこもおいしかったなー。
フランス料理って感じではないけど、いわゆるフランス料理ってガチガチな印象だったけど、そんなことなく気軽にふつうに美味しいなと思い直したね。

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オルセーから歩きでセーヌ川を渡りルーブル美術館に向かった。
橋の途中では、ジプシーが所々にいて観光客に声を掛けている。彼には、『すべて無視してね』と言われ相手しているといろんなことを要求してくるからと。。

そんな彼の言葉に、ちょっと浮かれていた私の心と体が、ピリッとシビれた。

一人だったらと考えるとやはり怖さも感じた。今はまだ言葉も話せて生活も慣れている彼といっしょだけど・・一人だと怖さもあるなと。

ルーブルの前に着き、彼は自分の作品が近くで展示している所を観てくるというので、一人でルーブル美術館を見ることとなった。たぶんそうしてくれたのだと思うけど。

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パリ再開発でフランス革命200周年にあたる1989年から改修し、地下の採光とエントランスを兼ねたガラスのピラミッドから中に入って、チケットと日本語の音声ガイドを借りた。

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オルセー美術館の展示物より前の古代から19世紀までの作品がある巨大なルーブル美術館は、数時間で観れるわけなく、有名どころを小走りに廻った。

たくさんの人がいたが、特にモナリザの人気は一番で、思ったより小さく感じたモナリザの前は、人だかりだった。

古代エジプトやギリシャの傑作の数々、サモトラケのニケからドラクロアの自由の女神やミロのビーナスの後姿などまで、、ついでにパリジェンヌも駆け足で観て廻ったけど楽しかった。

ほとんどが人類の宝モノだね。


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ルーブルを出て、彼と再会し、ちょっとマニアックだけど彼お勧めのオランジュリー美術館に歩いて向かった。

途中、チュイルリー公園を通るその側には、たくさんの人がくつろいでいた。

こちらは、日本にくらべ日差しが強く感じ、みんながサングラスをしてたり頭に乗せている訳が解った気がした。


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オランジュリー美術館は、特にモネの大作『睡蓮』に尽きる。

モネが望んだと言われる白い壁の部屋、周り一面に『睡蓮』があった。2部屋に渡り続いていて圧倒されるばかりだった。




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 地下鉄メトロに乗って夕食に向かった。タクシーはもちろん、バスに乗った時もそうだったけど電車のドアも自分で開けることも初めて知った。すべて勝手に開いてくれる日本との違いを感じた。


早くもパリの夜も今日限りと言う事で、ぜひ食べに行こうと薦めてくれてたのは、シーフードのオードブルのあるお店。

カキやエビ、貝など盛り合わせしてあり、尽きない話をしながら飲む白ワインは最高で、ボトルがなくなるのも時間の問題だった。


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ホテルに戻り、ホント狭いエレベータの扉も自分で開閉するのだった。

つづく



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2010/4/27 フランス パリ


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パリ市内のホテルに泊まり、朝を向かえ窓から外を眺めると『マジ、パリに来てしまった』って感じだった。


昨日の夜、ドイツでアーチスト(芸術家)をしていて主にヨーロッパで活躍している、幼馴染の親友HIROYUKI MASUYAMA氏がパリドゴール空港に迎えに来てくれて、数日間いっしょに行動を共にしてくれることになっていた。お互いちゃん付けで呼んでますけどね・・・。。

いっしょにいるこの数日間で、いろいろ食事の仕方や電車、タクシーの乗り方チケットの買い方、その他いろいろ一気に覚えなくてはならない。

朝、数人しか座れない狭いレストランで、今日の予定を2人で打ち合わせし早速街に出掛ける。

今回の主な私の計画の一つとして、今は亡き、偉大な近代の建築家 ル・コルビュジェ氏の設計した建築類を実際に観て、触って、泊まってくる事が大きな目的でもあった。

主にフランスで活躍し、中でもパリには重要な建築物が多数ある。日本でも上野にある西洋美術館なども設計している。

細かな感想などは、後で記せたらとも思うけど。


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はじめに初期の代表作のひとつ、ロッシュ・ジャンヌレ邸に。

パリの中心街からちょっと離れているのでタクシーに乗り込み、地図と住所を見せて運チャンに何とか伝え、友人にフォローをしてもらいつつ、なんとか現地へ。。

ちょっとマニアックな場所で道から奥まったところに有ったので、着いたのかどうか解らず運ちゃんとなんだかんだとやり取りしてしまった。

となりでやりとりを聞いていた友人は、後でなんて言ってるのか教えてもらったら、可笑しくって大笑いしてしまった。

言葉が解らないと、なかなか厳しいですねー。


実際に観て、『やっぱり来てよかった』って思い直した。


正直マジ感動した・・というか全体な設計の斬新さはもちろん、細かな納まりや家の中でも演出があり、間取り図だけをいじっている家とは全く違う家がありました。1923年の建物なので90年近く前に建てられたのかと改めて気づかされた。
日本だったら昭和こして大正だもんね。芸術家の友人もかなりびっくりしてました。

細かいところの感想は・・・書くと終わらないので後日に。。

そして、バスに乗って街中方面にもどり、今だここにいることが信じられないようなパリの街を歩いて、初めての食事。
正直、フランス語はもちろん英語も全く話せない読めない私は、食事することもままならない状況。
今後一人となっても食事が取れるようレストランの選定と注文、そしてチップのことまで小学生よろしく一からレクチャーをうけることに。
彼もそんな私を不安に思い、いっしょにいる2,3日の間ずっと講義?をしてくれるのであった。


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なにはともあれ、非常にいい天気のなかパリらしく外で食事を。
日本ではそうない、外での食事は、ほんと気持ちいいものであった。多少のワインを飲みつつ。

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食事中、久々にあった彼との再会が外国のパリであることにお互い感動し、話も尽きないが彼の作品のネタ本を見せてもらって、これもまた難解であった。


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そして、、パリに着たら取り合えずは観ないとってことで凱旋門とエッフェル塔に。。

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エッフェル塔に登って(これが階段でけっこうシビれた)、セーヌ川を眺め中世に計画された都市が今も変わらず残っていることに深く感動した。


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さらに、コルビュジェの中期の1933年に建てられたスイス学生会館とすぐ隣にある後期の1959年に建てられたブラジル学生会館を見に行く。

彼が40歳初旬の建物と70歳ちかくの建物がほぼ隣に並んでいて、見ごたえがあった。その30年の間に、後日見に行くことになるコルビュジェの代表作ロンシャンの礼拝堂やユニテダビタシオンなどの後に、こうして並んで創ることに、後で思うとスイス会館の時のこれからの建築の方向性を標したことを、30年経ってからもあらためて、同じ方向性をそしてより強く標していることに驚かされる。


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なかなか夜にならないヨーロッパにまた驚き、古い街並みのなか現代的な建築の代表的なポンピドューセンターに。
閉館していて中に入れず。


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夕食を食うにも、また勉強。はじめてタルタルステーキなぞを食べ今日の充実した一日にビールとワインで乾杯したのでした。

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ホテルにもどり、外国に着いたら見るようにいわれた子供たちからのおまもりの中身をみて一人笑いをし、気持ちよく寝たのだが、夜中2時ごろ、日本では朝なので日本からの仕事の電話対応でゆっくりも出来ないのであった。

つづく。

 

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フランス・スペイン・イタリアと建築や美術を視に行った一人旅から一年が経ちます。

ゴールデンウイークをはさみ、2週間ほど。

出発の一週間くらいに前にアイスランドの噴火があり、直前に空港が再開して多少不安の中飛んでいったことを思い出します。

今は、日本がこう言う状況となりいつなにが起こるか解らないね。

もう一年も経ってしまったけど、時折その時の状況を綴って行きたい。

ブログの下書きしたものやメモ、スケッチ、写真を元にもう一度整理しておこうと思う。
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